ヒーロー見参


 朝からこんな記事を読んで、私は彼のことを思い出した。

 もう26年も前の話になるのだな、と思うと妙な焦りも感じる。当時皆に煙たがれていた先生たちと私は同じ年になった。それなのに彼はあの時のまま微笑んで

「大丈夫?なりたい大人になれてるか?」

といつも私に問いかける。

 彼は高校の同級生だった。彼は特に人気者でも、目立つ人でもなく、口数も多くない人だったが、何というか”不思議な存在感”のある人だった。彼が友人と話すマニアックなヘビメタバンドの情報や、深夜ラジオに投稿したネタの話は、実は私も好きなバンドだったり、ラジオ番組だったりしたため、彼らの話に聞き耳を立てては、彼とは笑いのツボが同じそうと勝手に思ったりしていた。

 また彼はアメリカのバスケットボールリーグが大好きで、バスケットボール部に所属おり、よく色んな選手のモノマネプレーをしてチームメイトにクイズを出して遊んでいた。柔道部の私が体育館の二階にある道場からそれを眺めていると、気がついた彼が

「おう!」

と照れ臭そうにニヤッと手を挙げて挨拶し合う程度に、私たちは知り合いだった。

 そんな彼が急に学校に来なくなったのは高校2年の春だった。検査入院したと担任から聞いた時には、すぐに戻ってくるんだろうと気にも留めなかった。でも彼が来なくなって2ヶ月過ぎた頃には、さほど仲良くなかった私ですら、「大丈夫かな」と空いたまま主のこない机に毎日目を向けるようになった。

 各々心に引っかかりを抱えたまま夏休みを過ごし、二学期の始業式の朝を迎えた日のことだ。担任の先生は朝一教室に入るなり

「はい、みんなに大切な話があります、◯くんが明日学校に帰ってきます。」

と言った。みんな秒で笑顔になり、良かったと胸を下ろしそうになったが、先生の表情はまだ固かった。誰もが喜びたい言葉を飲み込み、先生の言葉を待つ中、先生は教壇に手をつきながら下を向いた後、再び私たちに視線を戻し、ゆっくり話だした。

「えっと、みんなに伝えないといけないことがあります。○くんの病名ですが、急性白血病です。以前に比べ調子が戻ってきたので明日から登校しますが、まだ体調が良くなったわけではありません。ちょっとした怪我や風邪で調子を崩す恐れがあります。かなり痩せて筋力が落ちてしまったため、車椅子での登校になります。各自白血病について調べて、自分で考えて、出来ること、出来ないことを考えて、○くんと接するよう協力してください。」

全員が言葉を失った。当時の白血病はまだ死の病だと思われていた。元気な彼しか知らない私たちは、話を聞いてもその事実をすぐにすんなり受け止めることができなかった。始業式の1日、私たちは何かを語りたいのに、語れない、そんな時を過ごした。

 そのころは今のようにインターネットや携帯がなくて、情報を調べるための方法は本を読むしかなかった。図書館へ本を借りにいくのが日課だった私はその日、

「白血病のことがわかる本はありますか?」

と司書の先生に尋ねた。自分の発した声が震えていて、一気に現実なんだという気持ちが襲ってきて汗が出た。それに対してなんとも言えない表情をした司書の先生が指差しながら小声で

「あそこに同じこと言った同級生が、関連本を占領して読んでいるから一緒に読んだら?」

と教えてくれた。指さされた先に目をやると、彼の親友である山郷くんが分厚い本を前に、懸命にメモを取っている姿が見えた。かなり迷ったが、専門書となると、ここしか情報を知れる場所はない。私は意を決して小さい声で

「ごめん、今、山郷君が読んでない本、隣で読ませてもらっていいかな?」

と声をかけた。山郷くんは少し驚いていたが

「いいよ。内容難しいからさ、大事なとこ抜粋して教えてくれると助かる。」

と言った。私はわかったと返事して、筆記用具とノートを出した。

 どんな病気かのか、どんな治療をするのか、改めて目にすると怖さはさらに増した。だからなるべく事実に忠実にポイントをピックアップしようと思った。そして今感じている恐怖心と少し上がった心拍数を山郷君に悟られないようにしなくてはと思いながら、私は努めて流れ作業のように小出しにポイントを書いたメモを山郷君に渡し続けた。気がつくとあたりは薄暗くなっていて、司書の先生から

「あと10分で閉めるよ。」

と告げられた。顔を上げた私に山郷くんが

「ねえ、良かったらこれからうちにこない?」

と言う問いに、私はすぐにわかったと答えた。

 山郷君の家は田舎町に唯一ある電気屋兼レコード店だった。商店街にある彼の家に到着すると、家族に帰りが遅くなることを伝えるために私は電話を借りた。その間に山郷君は両親に彼の病気のことを告げたようで、山郷君のお母さんが両手で顔を覆っている様子が見えた。私は見てはいけない気がして、電話を切るとそちら側に背を向け、大量にあるレコードの棚を模索した。

しばらくすると後ろから

「ご飯食べていってね〜。」

と山郷君のお母さんが私に声をかけてくれた。慌てて

「いえ、あの、急に来てすみません、結構です。家で食べるので」

と答えると、山郷君の歳の離れた妹がやってきて

「ねえ、食べてってね?」

と舌ったらずにお母さんの真似をして言った。ちょうどその時、着替え終わった山郷君が上の階から降りてきて

「うちのナポリタン、俺が言うのもなんだけど、ほんと美味しいから食べてって。今日俺が誘ったんだし。」

と言い、私の返事を聞かぬ間に「食べるって〜!」と奥のお母さんに大声で言った。そして「なんか聞く?」といいながらレコードをかけてくれた。スイングジャズだった。高そうなスピーカーから流れるそれは、恐ろしく素晴らしい音色だった。音色に聞き入りながらナポリタンを待っていると、山郷君がふと思い出したように

「ねえ、いつも教室で何聞いてるの?ずっとイヤホンして聴いてるよね?」

と聞いてきた。まさかみんなと関わりたくないから大概音楽を聴いてるふりをしているとは言えず、

「お、お、岡村靖幸」

とおどおど正直に好きな歌手の名を答えると、山郷君は彼の細い目を丸めて

「え?本当に?本当の本当に?」

と言ってきた。続けて

「意外だわ〜、お前は真面目が服きて歩いているようなやつだと思ってた。」

と言われた。岡村靖幸をなんだと思ってるんだ?と思いながら、実は私が彼らが嬉々として話しているオールナイトニッポンのリスナーで、ハガキ職人であることを言おうかと言うまいか迷ったが、やめておいた。

 山郷君のお母さんの作ったナポリタンは予想以上に美味しくて、そして私は生まれて初めて”タバスコ”の存在を知った。

「私が大阪に住んでいた頃行ってた喫茶店のメニューでね〜。流行っていたのよ。」

と教えてくれた。山郷君の真似をして同じ量のタバスコをかけたら、唇がヒリヒリして私には随分辛かったけど、少し大人になれた気がした。

 食後、私たちは、今日調べたことをまとめて、クラスメートに渡そうと話しあった。手をよく洗う、うがいをする、風邪気味の時は彼に近づかない、クラスでマスクを買ったほうがいいかな?など色んな話をしながらA3用紙にまとめた。出来たところで一階にある店舗に印刷しに行こうとした時だ。山郷君が急に足を止め

「でもさ、これあいつ見たら傷ついたりする可能性あるかもしれないよね‥」

と言った。確かに、彼がどこまで自分の病気のことを知っているのか。「テレビドラマでは告知されない主人公みたいな展開が多いよな」と山郷君はボソッと呟き、少し考えた後

「連絡できる人に今から電話して伝えない?」

と言ってきた。高校では真面目キャラで押し通し、毎日を無事やり過ごすことが目標である陰キャであった私にとって、電話などハードルが高すぎたが、ここまできてしまったからには仕方がない。電話帳で同級生の家の電話番号を調べ、順番に大切なポイントを伝えることになった。案の定、電話口で私が名乗るとクラスメートは皆、私を認識するのに時間がかかり、その後かなり驚いた。そんな状況で私の声がうわずっているのに気がついたのか、3分の2は山郷君がかけてくれた。彼を抜いたクラスメート全員の家に電話をかけ終わる頃には、時計はすでに午後10時を回っていた。

「送って行くから乗りなさい、自転車は荷台に乗せたらいいから。」

と山郷君のお母さんが山郷電気と書かれたトラックに自転車を乗せ私を送ってくれた。道中

「ナポリタン、美味しかったです。ありがとうございました。」

と伝えると山郷君のお母さんは

「あれね、ちょっとだけバターと醤油入れるのがコツなのよ、内緒ね〜。」

と教えてくれた。そして

「今日は息子と一緒にいてくれてありがとね、きっと一人で受け止めるのは大変だったと思うのよ。彼と息子は保育園からの親友だからね。」

と言った。そっか、二人はそんな長い付き合いだったのかと初めて知った事実に、胸の奥がコトンと音を立てた。家の前に着くと、山郷君のお母さんは私の自転車をホイッと荷台から下ろし、そして思い出したように

「それはそうと、あなたのこと、息子も彼もうちで話してたから、私知ってたのよ。これからもよろしくね、いつでも遊びにきてね。」

と言い、手を振りながら去っていった。二人は私のことなんて話してたのかな、と思いながら、私もトラックが見えなくなるまで手を振った。

 次の日、私たちはそれぞれに心の準備をしながら登校した。でもどんなに準備をしても心が追いつかないことがあることを、その日私たちは知った。

 1時間目開始のチャイムがなった時、山郷君に車椅子を押されながら、彼は4ヶ月ぶりに学校へやってきた。彼は痩せ細って、なのに顔は浮腫んでいて、私はどこに目をやったらいいのかわからなかった。声を出さなくては、微笑まなくてはと思うのに、顔がこわばった。

「よう!」

様子を察した彼が掠れた声で皆に言った。そこへ一限の数学担当の先生がきたため、山郷君が一番前列に用意した広くスペースをとった角席に彼の乗った車椅子を配置したところで、慌ただしく授業が始まった。

 あの日先生が話した授業の内容を一ミリも覚えていない。でもあの時の空気感を今もはっきりと思い出せる。彼を見てみんなわかってしまった。そして彼もわかっていた。彼はもう長くは生きられない、だから学校に来たんだと。

 ふと隣の席を見ると、同級生の女子が声を押し殺して泣いていた。私は彼女に釣られないように歯を噛み締めながら、「教科書忘れた。見せて」と声をかけ、彼の席から彼女を隠すようにひっついた。随分あとからわかったことだが、彼女はずっとずっと彼に片思いをしていた。

授業が終わった後、きっと1時間の授業の間にそれぞれ考えたであろう男子たちが笑って

「おせーよ、心配したぞ、おい」

などと声をかけ、その後病院のナースが可愛かったか?とか、たわいもない会話を始めた。みんなすごいなって思った。私はなんとか自分を取り戻そうと、いつも通りイヤホンをし、本を開いた。耳に岡村靖幸の「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」が大音量で流れた。当時の私は1秒でも早く大人になりたいと思って生きていた。でもこの時だけは、ほんの少しでも、今という時間が伸びればいいと心から願った。

 彼はそこから2週間ほど登校したのち、また学校に来なくなり、北国に初雪が降りはじめた頃に亡くなった。

 葬式の日、近所の文房具屋に香典袋を買いに行った。どうやって名前を書くのかわからず、店のおばさんに書き方を尋ねると、小さい町ゆえ、誰の葬式に行くのかはわかったようで、私の分も持ってってと頼まれた。

「若い人の葬式はつらいから行けないよ」

とおばちゃんが私の顔を見ず、ぼそっとつぶやいた。私の分の名入れもおばちゃんが筆ペンでしてくれて、入れる金額を聞かれたので「五千円」と答えると「あんたは学生だから三千円でいい」とレジでお金を崩して、残りの二千円を渡してくれた。そして香典お返しはいらないと伝えてよと何度も言われながら香典を預かった。激しさを増した雪に濡れないように香典袋を二つ、コートの胸ポケットの奥に大事にしまい、私は会場へ向かった。

 会場に着くと、同級生たちが寒さに身を寄せて立っていた。先生が点呼をとり皆をまとめていたが、山郷君の姿はそこに見当たらなかった。あたりをキョロキョロ見渡すと、お堂の方へ腕章をつけ座布団を運んでいる山郷君を確認できた。

 お香典を受付で渡し、文房具屋のおばちゃんの伝言を伝えたが、どうしても帰りにお返しを届けてと念を押された。まあ、そうなるよなと思いながら会場に目をやると、彼のお母さんらしき方が霊前で泣き崩れている姿が目に入り、思わず目を逸らしてしまった。やり場のない気持ちに私はさしてきた傘を閉じ、雪の降る空を見上げた。大粒の雪が顔の上で溶ける感触が気持ち良かった。しばらくそうしていると

「お〜い!何やってんだ、風邪ひくぞ、早く来い」

と少し先から手を振る先生の私を呼ぶ声が聞こえ、我に帰った。肩の積もった雪を払いながら私は皆の列に向かった。

 葬儀の一通りの流れの後、山郷君が友人代表で送る言葉を読むことになっていた。司会者に名前を呼ばれた山郷君は親族と一般の方に深々と二回お辞儀をした後、遺影をじっと見つめ焼香を揚げた。その後ピンと背筋を伸ばし、マイクの前に立つと、胸ポケットから手紙を出し、ハキハキと話し始めた。

「僕たちの地域の中学校の校則が変わったことをみなさんは知っていますか?男子は全員坊主頭にしなくてはいけないという、まるで戦中戦後のようなルール。僕たちはおかしいと思っても、ルールを破って叱られることが怖くて、仕方なく従ってきました。僕もその一人でした。

でもそこに声を上げた男がいました。それが彼です。彼は一人でなぜこのルールがおかしいのか個人の権利を調べ、教育委員会に話に行きました。一人でです。それは決して喧嘩腰ではなく、どうしてそれが必要かを何度も粘り強く大人に解くものでした。最初は相手にしなかった大人たちも、彼の持つ不思議な魅力にやられていきました。彼はいつもそういう風に愛される男でした。彼が要望を伝えたのは、僕たちが中学一年の時です。そして僕らが高校2年の春、彼の願いは私たちの暮らす地域の全中学校で叶うことになりました。その時、彼はもう病気になっていました。

彼の功績がこの世に残るようにしてくれた方達に感謝しています。そして残された僕たちは静かな闘志を持って変化を起こしたこのヒーローの伝説をこれからも伝えてゆきます。ゆっくり休んでくれ、また会おう。」

初めて知った話だった。ドキドキした。遅いよ、なんで今、と思った。そしてやりどころのない怒りなのか、悲しみなのかわからない気持ちが込み上げて、羽織ったコートのポケットの中でひたすら拳を握りしめた。

「最後のお別れです」

と司会者が言い、菊の花が配られた。気を遣われ最後の方に呼ばわれた私たちですら、声を失うほど彼の姿は変わり果てていた。棺の中の彼は学校に来た時より痩せ細り、肌の色が土色だった。動揺し、動けなくなって立ち尽くす私たちに先生が

「行こう、お別れしような」

と静かに言った。するとさっきまで背を伸ばし送る言葉を毅然と述べていた山郷君が、棺の横で突然力が抜けたように両膝をドスンと落とした。大丈夫かと数名が駆け寄ろうとした時、山郷君は彼の顔に震える手を伸ばし、彼の肌をやさしく撫でた。

「こんなになっ‥」

山郷君は絞るような声でそうつぶやくと、次の瞬間、彼の小さく固まった体に自分の体をグッと引き寄せて抱きしめた。棺の中の菊の花が数個勢いよくこぼれ落ちた。周りの大人が慌てて彼を止めにかかろうとしたが、彼のご両親がいいです、いいですからと言ってそれを止めた。

 すごい光景だった。普段話したことのない隣にいた同級生が私の手をぎゅっと握った。私はその手を反射的に強く握り返した。山郷君はぐちゃぐちゃに泣いていた。それを見たみんなもタガが外れたように泣き出した。私はこの光景を絶対に忘れまいと目に焼き付けるために、必死で涙を拭った。

 あれから26年が経つ。色んな事情があり、私は高校卒業以降一度しか田舎に帰っていない。同級生とも疎遠で、20年前に面白おかしく私に対する憶測が飛び交ったことを風の噂で聞いたが、今はもう誰も私のことを話さないくらい、田舎とは縁がない人間である。

 でも彼のこと、山郷君と図書館で病気について調べた日のことを節目節目で思い出す。図書館での山郷君の真剣な横顔や、ナポリタンを食べてケチャップまみれの山郷君の妹さんの顔、初めて聞いたスイングジャズ、唇が腫れたタバスコ、葬式の日の雪や、文房具屋のおばちゃんとの会話、手を握った同級生の涙と、照れ臭そうにニヤッと「おう!」って手を振ってくれた彼。

 あの時、必死に私が目に焼き付けた、いろんなものが全部削ぎ落とされた大切なあの時間が、変えられないもの、変えられるものを超えて世界の色が一変したあの時間が、そして永遠に変わらないヒーローが私の中に生き続けている。

 だから今日も私は大丈夫って思える、明日もこの世で生きてゆける。(了)

 

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