メローイエローと夕日

メローイエローと夕日
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 中学2年の秋、夕方の掃除でモップをかけていると小学校の頃からの同級生が猛ダッシュでかけてきて
『K先生が逮捕された!』
と言った。すると同じクラスにいたTちゃんが運んでいた荷物を足元に落とし、派手に何かを割った。私はTちゃんに駆け寄り『大丈夫?』と聞くと、彼女は呆然とするばかりだった。

 K先生は六年生の時の私達の担任だった。

 六年生になった私達にK先生は開口一番
『僕と最高の六年生の1年にしましょう!』
と言った。K先生は見た目が学校一かっこ良くて、サッカーが上手くて、担任に決まった時はクラスの皆が喜んでいた。
 
 『あれ?』と思い始めたのはゴールデンウイーク過ぎたあたりの参観日の時のことだった。その日の前日私達はK先生から『台本』なるものを配られたのだ。

 台本には受け答えの順番、先生の冗談に笑う、手を挙げる人、問題を間違える人まで細かく指示されていて、私達はそれを読みながら”リハーサル”なる授業をすると言われた。まだK先生の恐ろしさに気づいてなかった私達は『え〜〜凄い!これ違うこと話してもいいの〜?』と口々に先生に質問をぶつけながら笑った。

 その時だ。K先生はビュンとすごいスピードで長い定規をしならせ黒板に叩きつけた。

 『お前らの親は何かというと担任が悪いっていうんだよ。良いか、ここから楽しく学校で過ごしたかったら台本どおりに授業をやれ。わかった?』

K先生は声を荒げることなく静かにそれを言い、今度は金属製のゴミ箱を蹴り上げ『わかったな?』と微笑みながら念を押した。教室は静まり返り、翌日私達は何が起こったのかまだよく理解出来ないまま、台本どおり参観日の授業を全員で演じた。

 そこからしばらくK先生は何もなかったかのように日々授業を続けた。あの日から変わったことと言えば、数名の生徒がK先生の目の敵にされたことだ。もしかしたら彼らはそれぞれの親に話したりしたのかもしれないが、真相は分からない。でもそれ以前からK先生は『平等』という言葉を好んでよく使い、抜きん出た行動、例えそれが優れたことでもひどく嫌っていた。彼らは比較的優等生やいわゆる人気者の部類だったから目の敵にされたのかも知れないが、まあそういう風にすることで支配しやすい空気をK先生が作りだしていたことだけは確かだ。

 事件が起こったのは、夏休み明け9月だった。

 同級生のHちゃん、彼女は私の幼稚園からの幼なじみであり、美人で勉強が出来て、そして学校の人気者だった。そんな彼女もK先生からは嫌われ目の敵にされていた。彼女は小さい時から喘息を持っており、幼稚園の頃から運動会を休んで見学したり、風邪をこじらせるとしばらく学校を休むこともあった。

 K先生は彼女のそれを許さなかった。彼女が体育やプールの授業を休みたいと言うと、長々と皆の前で叱咤し、それ以外の掃除などで彼女の持ち場を増やした。K先生が怖かった彼女はそのうち無理をして体育の授業に参加するようになった。

 ある日、体育が終わり、次の授業が始まる寸前、Hちゃんの後ろの席だった私は肩で息をする彼女に気がついた。喘息用の薬を吸うやつを何度か試したがあまり落ち着かないようだった。『大丈夫?』と小声で聞くと彼女は首を横に振った。その時、K先生が教室に入ってきてしまった。

 起立と礼で彼女はすでに立てなかった。このままでは彼女が死んでしまうかもしれない。私は手にびっしょり汗をかき始めていた。もう彼女は自分で声を出せない状態だ。私は覚悟を決め、目をつむりそっと手を上げ
『先生、保健室に行きたいです。』
と言った。

立ち上がった私の膝は緊張でガクガクしていた。
『どうした?』
と笑って言ったK先生の顔がすでに怖かった。
『Hちゃんは喘息ですぐにお薬が必要です。』
と私が答えると
『おーい、また仮病か?H?』
とK先生は言った。

『お金持ちで甘やかされて育ったからかな〜、体が弱いのは。先生は騙されないぞ。』

K先生は笑ってこちらに近づいてきた。
先生が近づくと彼女の呼吸は一層荒くなった。先生は彼女の隣を通り過ぎると、私の髪の毛をガッと掴んだ。
『お前…』
とK先生が言ったその時彼女の呼吸は明らかに引きつり始めた。と同時に私は無意識に先生の腹をけって突き飛ばしていた。そこからはスローモーションの様でいて、冷静になった。私は彼女の腕を肩に掛け教室を飛び出した。そして教室を出てからすぐに大声で
『大丈夫?大丈夫?大丈夫?』
と大声で叫んだ。

 K先生は教室の外までは追いかけてこない、親から日々暴力を受けている私には分かっていた。こういう大人は他の大人に見つかることを1番恐れる。うちの教室は角にあって、階段を挟んだ場所に他の教室があった。だから距離のある他の教室の先生がドアを開けてのぞきこむくらい大声で私は叫んだのだ。K先生は追いかけてこなかった。火事場の馬鹿力って本当にあって、あの時の私は彼女を抱え、走れた。

 保健室に着くとHちゃんの意識はすでに朦朧としていた。保健の先生は慌てて救急車を電話で呼んで、校長室にも連絡を入れた。そこで私はようやく色んな恐ろしさの現実が戻ってきて、膝から崩れ落ち失禁した。保健の先生が
『大丈夫よ、大丈夫よ。』
と言っていたが、全然大丈夫じゃないよと思っていた。

 Hちゃんは救急車で運ばれたまま入院し、幸い大事には至らなかった。入院中K先生や学校関係者が訪ねても頑なに会わないらしいと狭い町で少し噂になった。そして彼女は退院してから卒業まで二度と学校に来ることはなかった。

 Hちゃんのお母さんが私に話を聞きたいと我が家に来たが、うちの親も暴力を私に振るっていたのでその話題が親の前ではしにくかったのと、Hちゃんがどんな風にはなしているか分からなかったこと、学校に戻った時、K先生にHちゃんが何かされたらという浅はかな考えに翻弄され、本当のことを言えなかった。

 そしてそれからの私はと言うと、翌日からK先生のイジメが始まった。ただ正味な話、実は私は楽になっていた。誰かがいじめられるのを見なくてすむし、まあ私の暴力中枢が壊れているからに他ならないが、時限爆弾の様な予定外の暴力に怯えるよりは、最初から嫌われていれば予想がつくだけましだったのだ。親に比べれば、口でグチグチ言われるくらいは朝飯前だった。

 クラスの友達は私と関わるとK先生に目をつけられるので離れていったが、元々友達は少なかったし、当時の私は図書館で毎日、本さえ読めれば寂しくなかった。

 そうして時は過ぎ、三学期、小学校生活最後の参観日がやってきた。いつも通り前日に『台本』が配られ、私は『間違えた答えを言う人』に選ばれていたが、もう既にどうでも良かった。演じていれさえすばK先生は満足なのだから、チョロいもんだとさえ思っていた。

 そして参観日当日はきた。授業も残すところ5分、順調に台本が進んで授業が終わりかけていたその時だ。

『僕はこの問題がわかりません。』

幼稚園からのもう一人の幼馴染みのMがふいに台本とは違う質問をした。クラス全員の血の気が引いた。台本には『M、正解を答える』と書いてあった。K先生は少し黙ったあと顔をあげずに
『何が分からない?』
と聞いた。Mは
『わからないのにわかったって言えません。』
と答えた。先生は
『M君は正直ですね〜。』
と保護者に笑いを誘うように言った。
そうしているうちに終了のチャイムが鳴った。K先生ひき釣り笑いをしながら
『はい、今日は最後までできなかったけど、授業はこれで終わります。クラスで卒業に向けた話し合いがあるのでお母様方は先にお帰りください。』
と言った。

 保護者が居なくなったことを確認した後、K先生は『お前、やってくれたな』とボソッと言いながら、クラスの前後のドアをピタッと閉めた。そして黙って鉄製のゴミ箱を手に走り込み、M君の足に叩きつけた。ドスっという音の鈍さが余計痛さを感じさせた。静かな教室で先生の少し荒い息の音だけがかすかに聞こえていた。Mは小さな声で
『Hちゃんは先生のせいで死にかけました。けいこも悪くない。』
と言った。その瞬間、先生の手がMの頬をビシッと打った。その時どこかのクラスのホームルームが終わり一斉に生徒が走り出す足音が響いた。

 K先生は珍しく大声で
『明日から覚悟しとけ』
とMに言いすてると、教室を出ていった。

 私がMに近づき
『Hちゃんも私も大丈夫たよ。』
と言うと
『大丈夫じゃないのは僕のほうだよ。』
と言って泣き出した。
 
 そう言えば彼は幼稚園の時から泣き虫で、トンボの羽をむしった友達を見ても泣くくらい繊細だったことを思い出した。その日は足を引きずる彼の荷物を私が持ち、久しぶりに2人で話をしながら家まで帰った。大変なことがあった割に、凄い下世話な話題をして久しぶりに大笑いした不思議な時間だった。

 結局卒業の日までの数週間、私とMは先生の目の敵にされたが、二人ともなるともう楽勝の域だった。そして無事に卒業式を迎えた当日、配られた卒業アルバム、クラス写真の右端の丸でHちゃんは笑っていた。何人かのクラスメイトに
『ごめん。』
と謝られたが
私はなんだかなと思いつつ、皆一辺倒に
『気にしてない。』
と答えた。

 卒業式の帰りにHちゃんの家に寄った。彼女はすごく痩せてしまっていた。
『中学は来るよね?』
と私が聞くと
『私立を受験して受かったからそっちに行く。』
と彼女は答えた。そしてHちゃんは買ったばかりであろう漫画の最新刊と綺麗なクッキーの箱をどこかの有名なデパートの袋にいれてプレゼントしてくれて
『ごめんね。』
と言った。私は泣かないようにしながら
『元気でいてね。たまに会えたら話そうね。』
と言い、手を降って別れた。その後彼女はお母さんと学校の近くに引っ越ししてしまい、二度と会うことはなかったが、風の噂でキャビンアテンダントになったと聞いた。

 そして満点を重ねても評価の悪くされた成績表に、けいこさんは協調性がなく将来心配ですと書かれたおかげで、家に帰ってからが修羅だったのは言うまでもない。

 さて冒頭のTちゃん。5年生の時、海外から転校してきた帰国子女で、なぜかK先生の1番のお気に入りだった。そしてHちゃんの喘息事件以来、Tちゃんと私は同じ町、しかも四軒となりに暮らしているというのに口をきかなくなっていた。K先生の逮捕を聞き、動揺しているTちゃんに
『一緒に帰ろうか?』
と言うとTちゃんは首を横に振り後ずさりしたが、私は取りあえず動けなくなっている彼女の割れてしまったペンケースをほうきとちりとりで掃除し、
『やっぱり一緒に帰ろ。』
と言った。

 中学校は電車で30分かかる場所にあって、私達はその道のりを自転車で1時間半かけて通っていた。ヘルメットを被り田んぼの真ん中に一本だけ通ったアスファルトの道を二人で並んで走った。

 Tちゃんが全然喋らなかったので、私は当時好きだったスラムダンクの話題をひたすら話した。私達の家のある町は田んぼを抜けた山の上にあってたどり着くには毎日自転車を押して長い坂道を登らなければならなかった。坂を登りながら一人で話しているから、私の息が切れぎれになってきたその時、Tちゃんは急に立ち止まり
『どうしよう?ねえ、どうしよう?』
と言った。

『大丈夫だよ、先生警察に捕まったしさ。』
と私が言うとTちゃんは
『違うの、違うの。』
と言い泣き出した。私は道の脇に自分の自転車を止めてから、Tちゃんの自転車も止め、彼女を道の縁石に座らせた。そしてこっそり学校に持っていったチョコレートを鞄から取り出し、半分に折って彼女に渡した。Tちゃんはチョコレートを握ったまま

『私、ずっとK先生の家に悪戯電話してたの。』

と言いだした。
『は?Tちゃんが?なんで?』
と言う私の質問を無視して
『私も警察に捕まるかな?ねえ、捕まっちゃうのかな?』
と泣きながら言いだした。
『いつ、いつからやってたの?』
と聞くと
『小学校卒業した日から。』
と言った。あまりのことに呆気にとられながら理由を聞くと
『K先生に学校を辞めてほしかった。』
とTちゃんは顔を上げずに言った。なんでも1年半もの間、夜中に起きて、ワン切りの電話していたという。先生の具合が悪くなれば学校を辞めると思ったと。

『先生が警察で電話のことを話したら…』
Tちゃんが話したところであまりに彼女が可愛くて私は笑いだしてしまった。
『大丈夫だよ、先生多分寝てて気がついてないよ。それに逆探知ってリアルじゃないと出来ないんだよ、2時間ドラマでいつもそうだもん。』
と私が言うとTちゃんは
『ほんとに?』
と蚊の鳴くような声で言った。
『うん、富山のばあちゃんといつもサスペンスの二時間ドラマ見てるけど、どれもそうだよ、だから大丈夫だよ。』
と私は答えた。顔を見合わせると、Tちゃんはやっと笑った。そして二人で溶けてしまったチョコレートを食べ始めた。

『それにしても勇気あるわ、Tちゃん凄いわ。ロックだねえ~。』
と私が言うとTちゃんは困った顔をしながら私に
『ずっとごめんね。』
と言った。
私は
『ホントだよ〜つらかった〜。』
と彼女を睨んでから
『次の自動販売機でメローイエロー買ってくれたら許す!』
と言った。いつも優等生な彼女は
『買い食い禁止なんだからね。』
と言い笑った。その後歩きながらTちゃんがボソッと
『あの時私がもっと勇気を出せてたら、少なくとも後輩は苦しまなかったのにね。』
と言った。私はああ、あんた凄いよ、私そこまで、考えられなかったわと言おうとして止めた。なんか違う気がした。そして彼女は
『でもさ、あんたも、ひどいよ。』
と言うので
『なんでよ?』
と私が言いかえすと
『あんな状態で”私は平気だから”みたいにされると怖かったよ。たまに先生と、同じくらいあんた怖かったよ。』
この人するどいな、と思ったし、先生の体調を悪くさせようとか思うあんたも大概だよとも思った。でもちらっといつかの未来、本当の私のことをTちゃんには話したいなとも思った。

 約束のメローイエローを買ってもらって、たらたら二人で私の家まで歩いたら、ニュースを聞いたであろうMが家の前で待っていた。TちゃんはMにも泣きながら謝っていた。

 私達の小学校生活はその日ようやく本当の卒業を迎えた、そう思った。

 K先生は予想通り生徒に対する暴行で逮捕されていた。翌日の地方新聞に小さく記事も載って、噂好きな小さな田舎町はしばらくその話題で持ちきりだった。ここぞとばかりに話す同級生もいたらしいが、大半は話せなかったと思う。本当の被害者、とは、そんなものである。傷ついた、傷つけた傷が大き過ぎてなかなか話せるものじゃないし、先生が逮捕されたからとて、六年生の1年間が返ってくることもない。

 現に私がこれを文章にするまでに、30年近くかかっている。

 ただたまに思いだす。あの時Hちゃんにもらった漫画のこと、メローイエローを飲みながら三人でみた夕日の色やTちゃんの悪戯電話のこと。そして
『たまに、先生と同じくらい、怖かった』
と言ったTちゃんの言葉も。
私も人の親になり、ようやく最近過去の自分自身を許し、こうして話をできるようになった。今なら
『実はあの時ね、』
と話せる気もする。そしてあの時彼女や彼が泣いた分、私は彼らの前で泣ける気がするのだ。

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