袂分け 晩菊の咲く 道を行く
晩菊が 今日は紅引き 夢を見る
幸不幸 舐めて晩菊 帯締める
永盛 希生子
『晩菊』、私のなかでは映画のタイトルとして記憶している言葉です。そういうわけで、今日の俳句は映画を思い出しながら作りました。
林芙美子作の同タイトルの小説を、成瀬巳喜男監督が映画化。成瀬監督作品はさまざまな夫婦を描いた作品が多いなか、この晩菊は年を重ねた4人の元芸者たちがそれぞれ過去を抱えながら、今をどう生きるのか、ユーモラスに、そして重くなりがちな男女、女女の生々しさを、実にさらっと描いた作品です。
なんとなく、この『晩菊』は、今の日本の作り手の方々に見て欲しい作品だな、なんて思ったりします(生意気にすみません)。
なんというか映画全体に『艶』を感じ、そして『間』が素晴らしい作品なんですよね。
私、人間の小ずるさがけっこう好きです。友人には変だと言われるのだけど、上手く騙されたいといいますか。自分の欲求を叶えるために上手く立ち回れる頭の回転の速さとか、たまらなく好きでして(笑)。結果笑わせてくれたら、それでいい。私はそんなところに人の艶を感じます。
なんだろう、私は、正直であることがすべて美徳だとは思わないんですよね。人間生きていれば色々あって、誰しも人に言えないことや、墓場まで持っていく話が一つや二つあるじゃないですか。その場限りの嘘にも理由はあるでしょう。そしてそれらを抱えて生きる方が、実は大変だったりすると思うのです。
昨今、インターネットの普及で言葉と言葉の距離が極端に近くなってしまい、1つの過ちを一斉に叩くような世知辛い世の中になりました。漂白剤を巻きまくって、あとに残るものはなんだろう、とこそっと思ったりもしています。
『晩菊』はまだ日本映画に色んな規制がなかったり、CGのような特別な技術のない頃の作品だということも多分にあるとは思いますが、先に申した通り、昨今の日本映画から感じられない、艶や間がある作品です。
最初に『晩菊』を観たのは、私が20代半ばの頃でした。観たのは浅草で、ちょうど新春歌舞伎のチケットをなけなしのお金で買い、あまりの嬉しさに早く浅草に着いてしまいまして、浅草には好きな呑みやが何件かあったのですが、今呑んでしまったらせっかくの歌舞伎が観られないと困るなと選んだ映画館で出会った作品でした。
あの日の歌舞伎、とても美しかったし素晴らしかった。なのに寝る前に思い出したのはこの『晩菊』という映画だった。そんな思い出の一作です。
晩菊で描かれた彼女らと同じような年になった今、あの頃は他人ごとだった映画の内容は、今観たら身につまされるのかも知れません。皆さんも、お時間のある時に是非。私も週末観てみよう。
ちなみに山形の晩菊という菊やみょうがの入ったお漬物も美味しいです。あ~日本酒呑みたい。映画もお漬物もお試しあれ。